【映画感想】岸辺露伴ルーヴルへ行く

【映画感想】岸辺露伴ルーヴルへ行く

実写ドラマ化で成功したあの岸辺露伴は動かない、がついに映画化!
昨年末においおいまさかルーヴルやるのか?と匂わせてからのたったの半年で公開です!



早速ネタバレあり感想ですが、まず実際にルーヴル美術館での撮影までしての映画化に感動です。
NHKや監督、脚本の小林靖子さん含め制作陣に感謝。

漫画原作の岸辺露伴ルーヴルへ行く、の大筋を変えることなく、さらにそこにサスペンスドラマと時代劇ものを加えながら、収束させていくのは見事!
NHKドラマでの手腕は映画になっても変わらずでした。

きっと一個の映画としては色々な評価あるんでしょうが、ジョジョファン、岸辺露伴は動かないファンからしたら満点の映画だと思います。

最も黒い黒

まず導入ですが骨董品屋からスタートです。
ここで、ドラマ版岸辺露伴は動かないでおなじみの二人組が登場してもうファンの僕はにっこりです(笑)。
この役者さんはドラマの冒頭でいろんな役で登場しては、露伴にヘブンズ・ドアーを食らう役回りです。
この短いシーンだけで露伴がリアリティを追い求める漫画家で、ヘブンズ・ドアーという特殊能力を持っていることがわかるんですよね。



今回は胡散臭い古美術商、裏で故買屋をやっているという役でした。
リアリティを適当に扱うことで岸辺露伴の怒りを買い、ヘブンズ・ドアーされてました(笑)。
今作は特にというか、この導入からしても無駄がないというか、テーマがありました。
故買屋はそもそも盗まれた美術品を売ったり、贋作を売っていました。
だからこそ、リアリティを大事にしていない、偽物を創り出す輩でした。
今作には「この世で最も黒い絵」というものが登場しますが、オリジナル要素として、黒い絵を写し取ろうとした疑似黒い絵と贋作家が登場します。

冒頭の1シーンにすら贋作とリアリティの対比がされていて、本当に丁寧に作られた作品だと思います。

ここから過去シーンに移り、若き日の岸辺露伴と奈々瀬の話になります。
ここは原作に忠実かつ、映画的というか表現しない表現がなんとも言えない余韻の良さを出していたと思います。

まず、若き日の露伴、高橋一生はもう完成されすぎてるので長尾謙杜さんはよかったですね。
奈々瀬役の木村文乃さんは、露伴が感じた異性、女性の色気をガッチリ表現されてて素晴らしかったです。

その色気にくらっとしてしまって、奈々瀬の部屋に呼ばれるシーンはドキドキしましたね(笑)
ここのシーンは映画版はセリフも削りに削って、シーンだけで心の動きを感じ取れる、良いシーンでした。

さて、「この世で最も黒い絵」という言葉、のパワーすごいと思いませんか?
荒木先生の天才的なところです。この言葉だけで妄想膨らみます。
タカウチ自身、この黒というのは一度深く考察したり研究したことがありまして。
露伴は99.95%光を吸収する奇妙な鳥、カケフウチョウの一種の写真を泉くんに見せていました。


黒い、とは光を反射せず吸収する、ということです。
ですが、世の中のたいていの物質は黒くても光をある程度反射しています。
だから、髪の毛も黒猫も黒いアスファルトもそこに「ある」ことがわかります。
しかし、もし光を全く反射しない物質でできたものがあるとすると、どう見えるのか?

そもそも「見る」とは光の反射を感じる、ということです。
光がないということは全く見えない、ということです。
このカケフウチョウも光を相当に吸収する羽毛を持つため、頭もくちばしも羽も見えず、ただの二次元の黒い壁に見えてしまっています。

この世で最も黒い物質として「ペンタブラック」や「MITが開発した黒い物質」が有名ですが、これを塗布したものは3次元の物質であるにもかかわらず、空間に空いた黒い穴のように見えてしまいます。
光を反射しないため、凹凸も何も見えなくなってしまうからです。
おそらく、宇宙にあるブラックホールもこんな感じなんでしょう。

それ以上に黒い、「この世で最も黒い絵」なんて言われたらもうわくわくしかありません。
さっきの話で言うと、光を反射する「鏡」は「現在、自分」を映し出します。
では光を吸収する「黒い絵」はいったい何を映すのか?
題材だけでゾクゾクしちゃいます。

そして原作にないオリジナル展開で、この黒い絵を模写したというモリス・ルグランの黒い絵をオークションで落札します。
ここで謎の二人組から落札した絵を狙われるというあたり、美術品に隠された宝物!みたいな古いサスペンスものを想起させて面白かったです。

ここで原作と異なってきているんですが、黒い絵を模写するということでなんと、黒い絵が持つ怪異もコピーされていました。

謎の二人組のうちの一人は、黒い絵と同じ怪異を発現してやられてしまっていましたね。
この模写というコピーをすると怪異もコピーされる、というのはラストに向かった伏線です。
つまり、この黒い絵の怪異はこの世で最も黒い絵の顔料だから起きているわけではない、ということに映画ではなっています。
突っ込んで考えるといろいろ不明点はありますが、映画としては勢いのほうが大事ですからね。

落札した模写の絵を本気で奪還しに来る謎の二人組が現れたことで、露伴は本格的に真の黒い絵、中村仁左衛門の絵を求めてルーヴル美術館へ向かいます。




パリ、ルーブル美術館へ

映画中盤、露伴と泉くんがパリに着くあたりから原作よりに話が戻ってきました。
露伴がおそらくヘブンズ・ドアーで自身に「フランス語で会話ができる」とでも書き込んだのか、フランス語をしっかり話していました。
その姿を見るだけでニヤニヤしてしまいました。

なぜか祖母の変なサングラスをかけている露伴もカッコよかったし、ルーヴルにいる姿もむちゃ良かったです。
僕自身がルーヴル美術館をあまり知らなかったので、少ししか映らないルーヴル美術館の美しさに圧倒ッ!
黄金色の天井、モナリザを前に立つ露伴と豪華な映像でした。

そして要所要所での原作に忠実なシーンにニヤリ。
美術館へ来た若者二人組にサインするシーンなんて思わずほっこりしてしまいました。

山村仁左衛門の黒い絵を探すあたり、ルーヴル美術館職員の方なんて日本人が出てくるよりも本物っぽくてよかったです。

黒い絵があるZ-13倉庫ですが、映画版では見捨てられた倉庫というより、近年セーヌ河の水害予防として美術品を移動して今は使われていない倉庫、という感じになっていましたね。
これは前半で出てきていた美術品窃盗団の関連につながっていました。

映画版のちょいちょい原作と異なるところもすべて、一つの話としてつながっていて、ほぼ意味のある改変かつ一つの流れになっているのが素晴らしい脚本と思います。

モリス・ルグランなる贋作家の存在から、ただの謎の絵探索からサスペンスものにスムーズになっていたのは見てて面白かったです。
あの消防士や鑑定人がこんな風になるとは!
まさか露伴がマジで探偵みたいなことするとは、と微笑ましく見てました(笑)

クライマックスの黒い絵の「呪い」、「過去からの因縁」が真っ黒な「死」を運んでくるシーンはこの岸辺露伴は動かないシリーズらしい怪異の表現が良くもあり、でももう少し差し迫った緊迫感を出せたら、、、ッと思ってしまうところでもありました。

実写の岸辺露伴は動かない、はスタンドを出さないのと同様に怪異そのものも映しても一瞬だったりします。
今回の黒い絵から出てくる「過去からの因縁」も本人にしか見えない幻覚として一瞬映り込むだけで、死に様で表現するというシーンは画面映えして良かったと思いました。

ただ、露伴に迫るのが山村仁左衛門だけだったのが緊迫感にちょっと欠けたような気がしてしまいました。
映画版の黒い絵は「後悔」をうつすからあれで合っているのですけどね。
原作の祖母や見知らぬ先祖たちまでゾンビのように迫って来て、身体中が真っ黒な「死」に蝕まれていく原作の怖さもまた好きでしたので。

映画では奈々瀬から黒い絵の攻撃を回避する方法がもたらされます。
冒頭から奈々瀬がつぶやいていて聞こえなかったキーワード、「すべてを忘れて」、ですね。

黒い絵による「遠い過去の後悔」は完全に忘れることでしか回避することはできないのです。
露伴はヘブンズ・ドアーで自身の記憶を消して難を逃れます。
が、それが山村仁左衛門がいつの間にか消える、というシーンをさらっとやってしまっていて、ちょっと見てて分かりにくかった気がします。

それはさておき、この忘れる、が実写版岸辺露伴ルーヴルへ行く、の大事な要素になってきます。




因縁は忘却すべきか?

ルーヴル美術館での事件後、露伴はある場所に訪れ、奈々瀬と再会します。
原作と違い、黒い絵のところで語られなかった事件の核心は、奈々瀬を本にして読むことで語られます。

奈々瀬にヘブンズ・ドアー使うところも凝ってるというか、数百年前の和紙で綴じられた本みたいになってるのが良いですね。
文字も筆で書かれたようになっていて、こだわりがあります。

ここから奈々瀬の過去を読むという形で時代劇パートが始まります。
原作にはないオリジナル展開で、原作では仄めかされるのみだった山村仁左衛門と奈々瀬の過去をたっぷりと描いてくれています。

ここ、実は山村仁左衛門と奈々瀬、そして露伴の物語を悲恋の物語にしたかったみたいなんですね、荒木先生は。
当時では描ききれなかった想いを今回、映画化において制作スタッフが創り上げたってことらしいです。

絵に向き合い続ける、まるで露伴のような山村仁左衛門が妻の奈々瀬のために誇りを捨てて実家に帰ったあたりとか、なんかちょっとうるっと来てしまいました。
そこからの弟からの憎悪、家系の中の因縁のせいで大変なことになってしまい、最後は因縁と恨みと後悔をぶちこんで黒の顔料で黒い絵を描き切った、というのがまた美しかったです。
さすがNHKというか、時代劇シーンが全部美しく感じました。

最初観た時はここまでで、なるほど補完してきたなぁ、くらいの感想でしたが、何が原作と違い、何を表現しようとしていたのかを掘り下げてみました。

まず、原作の黒い絵の顔料は老木に潜み生きている蜘蛛のような生き物です。
この蜘蛛は生まれてから死ぬまで一度も陽の光を浴びることなく一生を終えるようです。

この蜘蛛はいわゆる岸辺露伴は動かない世界の怪異に属する生き物で、何年も何百年も老木の暗闇の中で眠り生き続ける「どす黒い生物」で、これをすり潰してつくる顔料が「この世で最も黒い黒」というわけです。

映画版の黒の顔料は、奈々瀬がたまたま見つけた、御神木から溢れる真っ黒な樹液でした。
これは最初なぜ?と思いましたが、奈々瀬が見つけて、仁左衛門がこの黒にのめり込んでしまい、という流れのためだったのでしょう。
最後に仁左衛門が斧を振るって御神木からの返り血のような真っ黒の樹液で黒に覆われていくのも樹液だからこそできたシーンでしたし。

原作も映画版もこの顔料によって描いた「黒」には同じ怪異が宿りました。
真の黒は「過去の因縁」を映す、というものです。
この過去はなんと、蜘蛛の糸のように連綿と続く血縁、先祖の罪悪感、「後悔」まで映してしまいます。
そしてその罪悪感を感じた事象を再現されて死んでしまいます。
はっきり言って即死罠すぎます(笑)

自分だけならまだしも、自分でも知らない先祖の後悔まで見せつけられて殺されるなんて危険極まりないです。
原作では何百年も生きるどす黒い蜘蛛だからこそ、その前に立つと鏡のように全ての血縁の因縁、後悔まで映し出してしまうんでしょうね。

映画版の黒は、実は原作よりもさらに凶悪になっています。
なんと、この黒い絵を真似る、贋作を作るだけで真の黒と贋作の黒を蜘蛛が渡り歩いて結びつけて、「この世で最も黒い絵」と同じ能力を発動するのです。
増殖する即死罠、危険すぎます(笑)

これは奈々瀬が若き露伴に自分の絵を描くのをブチギレて辞めさせる理由にもなっているんですが、やばすぎますね。

この黒い絵を見てしまうと、無敵のヘブンズ・ドアーですら回避できません。
過去の因縁の人物は既に死んでいて、本にしても真っ黒で命令を書き込めない。
そこで、(映画版では奈々瀬のアドバイスで)露伴は自分の全ての記憶をヘブンズ・ドアーによって消し去ります。

先祖代々の因縁を消し去るには、「岸辺露伴でなくなること」が必要だったのです。
荒木先生が考える最も恐ろしいもの、それが先祖の因縁です。
ジョースター家が第1部から第6部までかけて戦ってきた最強の力である先祖の因縁を消すには、岸辺露伴もそこまでしなくてはならなかったわけです。

この最強の因縁に対して6部までは戦ってきたわけですが、露伴は忘れることで回避し、逃げ去ります。
岸辺露伴は動かないシリーズは結構怪異から逃げて終わることも多いので、今回もそうか、とも言えますが、ここにもう一つ掘り下げるところがあると考えました。

それは岸辺露伴ルーヴルへ行くを掲載した当時、連載中だったジョジョリオンです。
ジョジョリオンは東北の震災後を描いており、またラスボスのスタンド、ワンダー・オブ・Uは人間にはどうにもできない「厄災」の流れを扱う能力でした。
この「厄災」には結局東方定助も勝つことはできず、ただ逃げるのみでした。
7部以降、特に8部ではどうしようもなく翻弄されるしかない流れというものが荒木先生の中であるように感じます。

今回の黒い絵から滲み出る過去の因縁、後悔もまたバラバラにしてやっても石の下から這い出てくるミミズのように、打ち勝つことのできないものなのでしょう。

原作では、露伴はこの黒い絵から全てを一度忘れて逃げ切ることで、過去の因縁から解放された、という結末になっています。
ジョジョリオンと同じ流れですね。

ただ映画版ではこれが変わっています!
奈々瀬の聞こえない言葉がキーワードとなっています。
その言葉は「忘れて」。
映画では明確にこの黒い絵から逃れるための方法を伝え続けています。
過去の因縁を忘れること、だから露伴はずっと奈々瀬のことを忘れていたんですね。
映画版では解決策をわかりやすくしてくれているんですが、最後の露伴の選択は「忘れない」なんですね。
これまでの全てが自分を作っているから、決して忘れないことを選ぶんですね。
逃げないという選択をしたというところも、僕はよかったです。
もう誰にも見られなくなった呪いの絵、そこに囚われた奈々瀬を忘れない、というところがもうぐっときましたね。




最後に

ただ、ドラマ版岸辺露伴は呪いを忘れなかったため、まだまだ呪いが襲い来るような気もします(笑)
ただ、山村仁左衛門と奈々瀬の思いを忘れないというのは素敵な終わりです。
最後に、奈々瀬が切り付けてしまった原稿が露伴のもとに現れたのも、忘れないということを選択したからこそ出てきたんだと思います。

奈々瀬は自分を表現する露伴の原稿が偽黒い絵になってしまうのではないか、自分への想いが真の黒い絵を前にして忘れる決断を鈍らせるのではないかと判断して、原稿を切り裂いたわけです。
それを露伴は乗り越えたからこそ、焼けてしまった黒い絵の代わりに忘れない奈々瀬として原稿が戻ってきたんだと思いました。

そして、ルーヴル美術館にはまだまだ黒い絵のようなものがいくつもいくつも眠っている、という終わりもよかったですね。
怪異はまだまだ眠っている。
人間の手に負えない美術館、本当に岸辺露伴らしいですよね。

あとは最強は泉くんですね(笑)
黒い絵に対する「白」。
先祖の因縁すらまったくない、後悔のない泉くん。
父親を亡くしていて、それも白い思い出にしているのは、この映画の救いだと思います。
彼女だけが唯一ちゃんと、黒い絵の奈々瀬をちゃんと見て、覚えているのですからね。

一か月くらい感想書いてしまっていましたが、以上にしようと思います。






出典:荒木飛呂彦原作 集英社出版 ジョジョの奇妙な冒険

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2 件のコメント:

  1. 謎の二人組のうちの一人は、黒い絵と同じ怪異を発現してやられてしまっていましたね。
    この模写というコピーをすると怪異もコピーされる、というのはラストに向かった伏線です。
    つまり、この黒い絵の怪異はこの世で最も黒い絵の顔料だから起きているわけではない、ということに映画ではなっています。
    ≫とありますが、自分はやはり最も黒い絵の顔料(以下黒の顔料)が原因で怪異が発生していると考えています。
    というのもコピー品にも怪異が宿っているのにオークションでも露伴邸でも怪異が出てきていないからです。また、謎の2人組の片方は怪異に襲われる前に、コピー品の裏を破いて黒い顔料を発見→蜘蛛の発生という手順を踏んでいます。
    やはりラストの菜々瀬が仁左衛門の恨みのこもった黒い顔料が蜘蛛となったと言っていた通り黒の顔料に怪異(仁左衛門の怨念)が宿っている状態だと思われます。
    またこれは推測ですが、仁左衛門の強い怨みは黒い顔料に留まらず絵を描いた時周囲の魂にも影響を与えました。その影響を受けた魂こそ菜々瀬と考えています。黒い蜘蛛と同様、何百年も存在を縛られ彼女が泊まっていた部屋の周囲にはあの黒い蜘蛛がたくさん生息していました。そしてその血縁である露伴も冒頭、黒い絵もないのに蜘蛛が出現していました。(最初は4部原作のパロディかと思いいつ味も見てしまうかドキドキでした笑)

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  2. コメントありがとうございます。こんなに書いていただき嬉しいです!

    確かに蜘蛛が発生するところを見ていくと、そんな風にも読み取れますね。新しい視点をありがとうございます。

    特に序盤で露伴の周りに蜘蛛が現れていたのは、絵ともはや関係ないですね。
    奈々瀬の念、魂の影響なのかもしれませんね。

    そして、僕も露伴が蜘蛛を舐めるんじゃないかと思ってました(笑)

    返信削除

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